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平和な世界の実現を目指す為に戦争を語り継いでゆきます
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[ヒロシマを生きる・番外編]NO5

村上啓子さんと歩く

5 大久野島毒ガス資料館

毒を作るために

 JR広島駅を朝9時半ごろ出て、呉線の忠海駅に着いたのは昼近く。途中は明るい海のきらめきが楽しめた。フェリーで15分。大久野島の桟橋でバスに乗るとすぐに、何匹ものウサギが道の周りにいるのが見える。戦時中、秘密裏の毒ガス製造の拠点だったこの島は今、ウサギ島としても知られているらしい。
 唯一の宿泊施設である休暇村に荷物を預けて、近くの毒ガス資料館に入る。正式名称「東京第二陸軍造兵厰火工厰忠海兵器製造所」の1929年の開設前後の写真、一周4㌔という島内の全域に散らばる毒ガス関連施設の配置図、生産したガスの種類と性状の一覧。パンフレットによると生産の主力は、びらん性毒剤である「イペリット」だったらしい。ほかにルイサイト、青酸など。
 工場開設前のこの島を含む瀬戸内海の5万分の1の地図と、開設後、同じ地図ながら大久野島周辺が白く弧状にえぐられたものも並んでいた。「地図から消された島」でもあったという、その裏づけである。
 ゴム引きの作業着や目の部分の飛び出た防毒マスクを着けた人形、その内側に着た作業服の説明には、天花粉を入れるためのポケットが付いている、とも。茶色の太いホースのような管がぐるぐると巡っている、背丈よりも高い奇怪な姿の陶器は、液体毒ガスの冷却器。
 防毒マスクを着けた異様な姿で中国・上海や山西省を行く日本兵たちの写真もあった。毒ガスは主に中国戦線に向け作られたと、後で聞いた。火工厰の制帽や施設内会食所の食器などに付けられたマークは、黒丸の上に3本の線の「火の玉」という。ブラックユーモアか。
 館内にしばらくいると、何やら刺激性というのか、痛みほどではないものの、つい目をパチパチさせてしまうような感じになった。気のせいかとも思ったが、「溶解槽」「生成液受器」などの、腰高ほどの陶器のかめ複数をはじめ、ケースに入らない露出展示もいくつかあるから、思わずガスの残留では、などと想像が働いてしまう。後でほかの人に尋ねたら、やはり同じように感じたという。保存処理の薬品の臭いではないかという人もいた。
 工場で働く工員となるための「陸軍技能者養成所」の卒業式の写真の説明には「『毒ガス兵器は、血を流すようなむごたらしいことにはならず、いちはやく回復し苦しまなくてすむ』と教えられたそうです。卒業と同時に各製造工場に配置され、自由にやめることもできませんでした」とあった。
 だが、別室で見たビデオ「証言でつづる大久野島」では、働いていた人たちによる「何を作っているか知らされなかった」「互いが何をしているか知らされなかったし家族にも仕事の内容は話さない」との声がある。養成所を卒業した人と、徴用などで連れてこられた人との違いだろうか。中には「誓約書を守って、自分がかかった医師にも最後まで毒ガスのことを言わなかった」人もいたという。
 元看護婦によれば、「島全体に特殊な臭気があった。工場に入らない人も体調をくずしていた。胃腸障害とか猛烈な咳とか。ほとんどの人が呼吸困難になっていた」という。ほかの人も「天気の悪い日は目が痛くなる」「塩素には防毒マスクが効かない。1年ぐらいで体はぼろぼろになった」などと証言しているのだが、最後まで聞く時間はなかった。
    (赤嶺容子)
[ヒロシマを生きる・番外編]NO5_d0167594_13551968.jpg

 P 毒ガス資料館=広島県竹原市大久野島
by tcww | 2011-01-31 13:55
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